生と死を見つめる「禅のことば」
こんにちは。
愛知県稲沢市にある「宗教法人 安楽寺~あんらくじ~」は
名鉄名古屋本線「国府宮駅」から車で15分のところにあるお寺です。
禅宗の一派である「臨済宗」のお寺となっており
桜や紫陽花、紅葉、コスモスなどの季節の彩りを楽しみながら
ゆっくりとお参りしていただけます。
御朱印も承りますので、是非お声かけください。
ときに、私たちは、「生とは何か?」「死とは何か?」を考えます。
もちろん、そこには明確な答えはないと思っていますが
「姿なき答え」に向かって歩き続けているのは
生きていくための指標を求めているからではないでしょうか。
今回、禅の言葉をご紹介します。
禅の言葉というのは、何らかの考え方を決めつけるものではありません。
それを受け取った人それぞれが、心のなかで成熟させていき
自分だけの「心の指標」として、大切にするものと考えています。
【安心(あんじん)】
現代では、これを「あんしん」と読みますが
禅では「あんじん」と読みます。
「安心立命(あんじんりゅうみょう)」
という言葉から来たものです。
自らの使命に一生懸命に取り組み
あとは我が身を天命に任せること。
そして、常に心を安んじて何事にも動かされないこと。
心穏やかな状態で生きることを意味している言葉です。
これを私たちの生活に当てはめてみましょう。
「安心」の反対には「不安」という言葉があります。
人は誰しも、さまざまな不安を抱えながら生きているものです。
病気に対する不安。お金に関する不安、将来の生活に対する不安。
そんな現実的な不安から、言葉では言い表すことのできない不安まで
とにかく生きることは不安に満ち溢れているといっても、過言ではありません。
さて、この不安は、3つに分けて考えることができます。
ひとつ目は、自分が努力をすることで解決できる不安。
2つ目は、ほおっておけば時間が解決してくれる不安。
そして、3つ目は実体のない不安です。
何が不安かと聞かれても、明確に言えない。
姿かたちが見えない不安です。
姿かたちの見えない不安というのは
実は、自分の心が勝手に生み出しているもの、でもあるのです。
この3つ目の「実体のない不安」を克服する力こそが
禅で言うところの「安心」ということになります。
いつも心を穏やかに保ち、要らぬものに心を乱されないこと。
その心がけさえあれば、人生は生きやすくなってくるでしょう。
「安楽寺」では、ご葬儀や法要のご相談も承っております。
宗派を問わずご依頼をお受けいたしますので
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